大道行くべし。

大好きな幕末維新史の考察、史跡巡りレポ、その他雑多に緩くいきたいと思います。よろしくお願いします。(Twitterも併せてどうぞ!→@wadakogorou)

木戸孝允の祖父・藤本玄盛とその墓所②(実地調査編)

令和5年5月2日、山口県周南市呼坂へ行ってきました。その目的は、前回考察した木戸孝允の祖父・藤本玄盛の墓所=「上山墓地」をこの足で訪ね、玄盛のお墓をこの目で確認するためです。 旧呼坂宿、山陽街道を西に向かって歩き、藤本玄盛旧宅跡地の前を通り…

木戸孝允の祖父・藤本玄盛とその墓所①(考察編)

木戸孝允は天保4年(1833)6月26日萩藩の藩医和田家に生まれ、「小五郎」と名付けられたため、初名を「和田小五郎」という。そして8歳の時に桂家に養子に出されて「桂小五郎」となり、その後、時代を経て「木戸貫治」→「木戸準一郎」→「木戸孝允」と改名し…

廣戸直蔵著「木戸孝允公出石町潜伏中の略記」について(前編)

桂小五郎(木戸孝允)の禁門の変後の出石における潜伏生活を調べるにあたって、まず手に取るべき基礎史料は何かと言えば、それは廣戸正蔵編『維新史蹟但馬出石に隠れたる木戸松菊公遺芳集』(出石郡教育会 昭和7年)であり、とりわけ同書所収の「贈正二位内閣顧…

廣戸甚助伝記「鍋屋孝助傳」について

「鍋屋孝助」とは、元治元年(1864)禁門の変に敗れた木戸孝允(=桂小五郎)を助け、郷里の但馬国出石まで連れ帰り匿った、言わば木戸の命の恩人とも言える人物で、本名を「廣戸甚助」と言います。しかしながら彼の生涯は謎に包まれており、木戸と知り合う前は…

補遺②:安徳天皇西市御陵墓と木戸孝允

令和元年7月4日、山口県下関市豊田町の安徳天皇西市陵墓参考地を再訪した。その結果、以前より考察を進めてきた次の3点について若干の進展が見られたためここにご報告する。 ●安徳天皇西市陵墓参考地にある木戸孝允詩碑設置の経緯●詩碑の基となった木戸孝允…

諏訪山正念寺と同寺所蔵「木戸松菊二行之書」

安徳天皇西市陵墓参考地から南西の方角に位置する楢原という地に諏訪山正念寺はある。その起源を辿ると、寛永2年(1625)まで遡ることができる。当時、朝倉兵庫頭の家臣、甲斐修理という人物が出家し、法名を正清と称し、浄土真宗本願寺派の一宇を建立したのが…

補遺:安徳天皇西市御陵墓と木戸孝允

安徳天皇西市御陵墓の所在地、山口県下関市豊田町地吉一帯は、現在は豊田湖とそれを取り囲む山々で構成されているが、木屋川ダムが造成される昭和30年以前は広大な平野が広がっていた。この平野を「地吉」という。 地吉の地を開いたのは、平安時代の応徳年代…

安徳天皇西市御陵墓と木戸孝允

山口県下関市豊田町地吉の豊田湖の湖畔に、寿永4年(1185)の壇ノ浦の戦いに敗れた平氏一族と共に入水し、僅か8歳でその生涯を閉じた第81代安徳天皇の御陵墓とされる「安徳天皇西市陵墓参考地」がある。「参考地」とされているのは、西日本の各地に安徳天皇の…

平成30年12月16日 大磯探訪・補足(歴史を受け継ぐということ)

※史料・碑文等から見えてくる「歴史の伝承」。 明治天皇の大磯御滞在、特に北浜海岸臨御中の出来事についてもう少し掘り下げてみたいと思います。 ・まず、基礎史料である『明治天皇紀』にはどのように書かれているでしょうか。 「九日 卯の半刻小田原行在所…

平成30年12月16日 大磯探訪③(明治天皇東幸の足跡を追って)

そういえば、海水浴場や保養地として栄えるずっと以前の明治元年、大磯は明治天皇が東幸の際に立ち寄られた東海道の宿場町の一つでもありました。当時、参与の職にあった木戸準一郎(孝允)もこの時供奉し、大磯を訪れています。何かこの時のものを示すような…

平成30年12月16日 大磯探訪②(大磯と松本順)

時間が余ったため、大磯駅周辺の散策をすることに。 まず、駅前の観光案内図をチェック♪ とりあえず適当に的を絞り散策してみることとします。 ①まず、JR大磯駅前に否応なしに目につく巨大な石碑が。 海内第一避暑地とある。 碑文によると、「東海道の名のあ…

平成30年12月16日 大磯探訪(七賢堂と明治記念大磯邸園)

去る平成30年12月16日、神奈川県中郡大磯町へ行ってきました。目的は特別開扉されている「七賢堂」を見に行くこと。 ・「七賢堂」とは?・・・伊藤博文が大磯町の自宅「滄浪閣」の敷地内に明治36年に建築した9尺四方の木造建築のお堂のこと。伊藤が日頃から…

「京料理 上木屋町 幾松」へ!(「桂小五郎と幾松が駆けた幕末京都」レポ③)

京都市内の散策を終えて、いよいよ「幾松」へ向かいます! まずは外観から。 真向いには佐久間象山・大村益次郎遭難の碑があります。 細長い通路、所謂「鰻の寝床」を通り抜けて暖簾をくぐると・・・。 何とも雅やかな雰囲気が漂います✨ 吹き抜けの坪庭 そし…

「桂小五郎と幾松が駆けた幕末京都」レポ②

今回のメインイベントである木戸孝允関連はこちらでまとめて紹介したいと思います♪ ・木戸孝允別邸 木戸が近衛家の下屋敷「河原御殿」を譲り受け、別邸としたのは明治2年のこと。 同10年5月19日明治天皇のお見舞いを受けた後、同月26日、この地で木…

「桂小五郎と幾松が駆けた幕末京都」レポ

平成30年11月18日、京都で開催された野外講座「桂小五郎と幾松が駆けた幕末京都 ~料亭 幾松で会席料理、「幾松の間」を見学~」に参加してきました! ※兼ねがね行ってみたいとは思っていたけど、個人で行くには少々敷居が高く、躊躇していた料亭幾松。霊山…

木戸孝允と箱根③

木戸は箱根滞在中、折に触れ多くの詩作をしています。中でも次の漢詩は印象的です。 對江山千里江山落眼中 眼中江山則千里 山自幽靜水自淸日日相對我心喜 天地妙美人不知 人不知處却妙美大道可行又何妨 聖賢所解無空山 君子如愚小人智一時名利不足恃 専是天…

木戸孝允と箱根②

明治2年と9年の木戸孝允の箱根滞在時の動向に関して共通して言えることは、いずれも5か所もの旅館に欠かさず宿泊或いは立ち寄っていること。芦之湯「松坂屋」、箱根町「はふ屋」、宮ノ下「奈良屋」、木賀「亀屋」、湯本「福住」。以上の5か所の旅館が木戸の…

木戸孝允と箱根

日本有数の温泉地である箱根。その開湯は今から約1300年前、奈良時代まで遡ります。安土桃山時代には豊臣秀吉の小田原征伐があり、その際、全国から招集された武将達が滞陣中、この地で温泉に浸かったと言われています。江戸時代には東海道沿いの温泉として…