大道行くべし。

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「桂小五郎と幾松が駆けた幕末京都」レポ②

今回のメインイベントである木戸孝允関連はこちらでまとめて紹介したいと思います♪

 

 

 

木戸孝允別邸

木戸が近衛家下屋敷「河原御殿」を譲り受け、別邸としたのは明治2年のこと。

同10年5月19日明治天皇のお見舞いを受けた後、同月26日、この地で木戸は亡くなっています。

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この近辺、木戸別邸を示す石碑がやたらと多い。確認できるだけで4つ。

 

 

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現存する建物は、このあたり一帯にあったであろう木戸屋敷の一部(茶室?)と考えられ、木戸が息を引き取ったのはこの建物ではない可能性が高い。
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珍しく二階の窓が開いていました!

 

 

 

因みに、旧建物の一部(玄関)が京都市北区新村出邸に移築され、現存しています。

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見学もできるようですね(祝日を除く月・金曜日10時~12時 13時~16時)。



 

・達磨堂

達磨堂とは、かつて木戸忠太郎が自身の達磨のコレクションを収蔵した建物。忠太郎は孝允の養子(孝允の妻松子の「縁者」とのことだが詳細は不明。廣戸直蔵の妹ぬいがかつて孝允の妾となり、二人の間に生まれた子供が忠太郎だとする説もあるがどうだろうか?)。元々あった建物を忠太郎が達磨堂と名付けて使用したのか、忠太郎が建てて達磨堂としたのかは分からないが、今も現存し、内部見学可能。

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外観と額。かろうじて「達磨堂」と読めます。

 

 

 

昭和10年3月31日、孝允の孫、木戸幸一もここで家族と記念撮影をしています。

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内部は所狭しと古今東西様々な達磨が陳列されていて、「達磨好き」には堪らない空間でしょう。

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忠太郎氏の肖像画も飾られています。
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達磨堂に隣接する職員会館かもがわ内ロビーにも飾られています。

 

(③へ続く)