平成30年12月16日 大磯探訪③(明治天皇東幸の足跡を追って)
そういえば、海水浴場や保養地として栄えるずっと以前の明治元年、大磯は明治天皇が東幸の際に立ち寄られた東海道の宿場町の一つでもありました。当時、参与の職にあった木戸準一郎(孝允)もこの時供奉し、大磯を訪れています。何かこの時のものを示すような史跡はないか?今度はそこに焦点を絞り散策してみることにしました。
※まずは基本的なおさらい。
明治元年、明治天皇が東幸の際、大磯に立ち寄られたのが10月9日。
10月9日 午の刻(現在の11時から13時)、大磯驛着。
・行在所→本陣 小島才三郎家
午後、海岸に臨御。供奉諸藩兵による射撃、地元漁夫による地曳網漁を叡覧。
供奉諸藩兵、漁夫へ物を下賜。
酉の刻(現在の17時から19時)、行在所へ還御。
10月10日 卯の半刻(現在の6時)、大磯行在所を出御。
(以上、『明治天皇紀』第一より)
・まずは、かつての本陣、小島才三郎家を探してみることに。
碑文には「小島本陣は江戸時代約二百五十年の間東海道を旅する大名などのとまる旅館を営んでいた 明治元年十月九日明治天皇が東京遷都のため御東行の際の御宿泊所となった」とあります。
次に、三種の神器の一つ、八咫鏡を安置したという、神明社を探します。
早速行ってみます。
神明神社御由緒によれば、内侍所御羽車(天照大神の御霊代のヤタノカガミを祭ってある腰輿)がここ、神明神社に安置されたということのようです(明治元年10月9日と同年12月9日の2度)。
それでは明治天皇が臨御された海岸へ行ってみましょう。
明治天皇觀漁記念碑
傍らに建碑由来が書かれた石碑が。
判読が困難だが、どうやら『明治天皇紀』と同趣旨のことが書かれているよう。また、この記念碑の題字を金子堅太郎が揮毫したことも分かりました。
あと一か所、どうしても気になる場所が・・・。
とにかく向かってみることとします。・・・しかし、案内板がどこにもなく、思った以上にルートが不明瞭でどう行けばいいのか分からない💦さんざん迷った挙句、ようやくそれらしき場所へ辿り着きました!
石碑の裏側に建碑由来が刻まれていましたので確認。
だいたい『明治天皇紀』や海岸の「明治天皇観漁記念碑」建碑由来と同趣旨のことが書かれてありますが、末尾に「今謹テ石ニ勤シ之ヲ山上ニ建テ此地ノ榮ヲ永ク後ニ傳フト云フ」とあることから、この由来を読み取ることができます。
整備されずに荒れ放題の現状を鑑みれば、恐らくここにこれがあることを地元住民でも知らない人の方が多いのではないでしょうか。ましてや観光客にはほとんど知られていないように思います。もう少し整備し、かつ宣伝して行きやすくする必要があるのではと個人的には思います。とても立派な記念碑ですので、このまま日の目を見ずに寂れていくのはもったいないように思います。