大道行くべし。

大好きな幕末維新史の考察、史跡巡りレポ、その他雑多に緩くいきたいと思います。よろしくお願いします。(Twitterも併せてどうぞ!→@wadakogorou)

諏訪山正念寺と同寺所蔵「木戸松菊二行之書」

安徳天皇西市陵墓参考地から南西の方角に位置する楢原という地に諏訪山正念寺はある。その起源を辿ると、寛永2年(1625)まで遡ることができる。当時、朝倉兵庫頭の家臣、甲斐修理という人物が出家し、法名を正清と称し、浄土真宗本願寺派一宇を建立したのが、後の正念寺のそもそもの始まりである。その後、寺運は衰微し、廃寺同様の状態が続いていたところ、西市の大庄屋格、中野家の4代目当主、中野半右衛門景林が寛政2年(1790)、58歳の時落飾出家して正念寺を建立し、自ら初代住職となった。翌年半右衛門景林は死去するものの寺基は確立し、現在に至っている。この功績の大きさから、半右衛門景林は正念寺の「中興の祖」とも呼ばれている。

明治初年に地吉の光雲寺に納められた木戸孝允の書「渓流巻巨石 山岳半空横 壽永陵邊路 斷腸杜宇聲」は、約80年間同寺に所蔵された後、昭和29年8月10日、木屋川ダム造成に伴う水没により廃絶後、諏訪山正念寺に引き継がれ所蔵されることとなり現在に至っている。

※以上、豊田町史編纂委員会編『豊田町史』(豊田町 1979年)参照。

この度、正念寺を訪れたところ、幸いにもご住職とお話をさせて頂く機会を得、確かに所蔵されているという、通常非公開の木戸の書を特別に見せて頂ける運びとなりました!

(※ご住職より、撮影+SNSに投稿することを快く許可頂きましたので、ここに掲載させて頂きます)

f:id:wadakogorou-weblog:20190612184742j:plain

正念寺山門。「諏訪山」扁額。

f:id:wadakogorou-weblog:20190612185038j:plain

軸箱。重厚な桐の箱に緊張感が募ります。

f:id:wadakogorou-weblog:20190612185511j:plain

そして、探し求めていた木戸の書が目の前に!

f:id:wadakogorou-weblog:20190612185347j:plain

所蔵以来、箱に納めたまま殆ど外に出していないとのことで、保存状態の良さが窺える。
f:id:wadakogorou-weblog:20190612185527j:plain
f:id:wadakogorou-weblog:20190612191545j:plain
詩碑と書を並べてみると、木戸の筆跡のまま碑石に刻まれたことがよく分かります。

 

 

※大変貴重な物を見せて頂き、ありがとうございました。この場をお借りして改めて厚く御礼申し上げます。