大道行くべし。

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木戸孝允の祖父・藤本玄盛とその墓所②(実地調査編)

 令和5年5月2日、山口県周南市呼坂へ行ってきました。その目的は、前回考察した木戸孝允の祖父・藤本玄盛の墓所=「上山墓地」をこの足で訪ね、玄盛のお墓をこの目で確認するためです。

 

旧呼坂宿、山陽街道を西に向かって歩き、藤本玄盛旧宅跡地の前を通り過ぎると、目の前に小高い丘が広がってきます。ここが「古市」と呼ばれている所です。そして海老のように折れ曲がった坂を登ります。

海老のように折れ曲がった坂から「海老坂」とも呼ばれ、これが「呼坂」の語源とも言われています。「古市坂」ともよばれているようですね。

「上山墓地」の入口にたどり着きました。

     

 

墓地へ続く小道を進むと・・・。

 

 

お地蔵さまがお出迎え。

 

 

更に進むと、墓地が見えてきました。

 

 

この中から藤本玄盛の墓碑を探します。

 

そして、遂にそれらしき墓碑を発見!まずは手を合わせ、たどり着いたことを感謝。

 

 

明治維新百年と熊毛町』掲載の写真との比較、同じ墓碑に見えます。50年以上経過していてもそれ程劣化していないように見えます。

 

墓碑に刻まれている戒名、はっきりとは読み取れません。

 

向かって右側面を見ると、はっきり「嘉永六癸丑十月八日 藤本玄盛墓 同人妻」と刻まれているのが読み取れました。これが木戸孝允の祖父・藤本玄盛のお墓であることが確定しました(奥さんも同じお墓に入っているようですね)。

 

行った甲斐がありました!

玄盛さん、改めてありがとうございました!

 

 

(おまけ)

玄盛墓の向かって左隣に「藤本氏合祭墓」、後ろに「藤本織之進墓」がありました。

これも合わせて合掌させていただきました。