大道行くべし。

大好きな幕末維新史の考察、史跡巡りレポ、その他雑多に緩くいきたいと思います。よろしくお願いします。(Twitterも併せてどうぞ!→@wadakogorou)

2019-01-01から1年間の記事一覧

補遺②:安徳天皇西市御陵墓と木戸孝允

令和元年7月4日、山口県下関市豊田町の安徳天皇西市陵墓参考地を再訪した。その結果、以前より考察を進めてきた次の3点について若干の進展が見られたためここにご報告する。 ●安徳天皇西市陵墓参考地にある木戸孝允詩碑設置の経緯●詩碑の基となった木戸孝允…

諏訪山正念寺と同寺所蔵「木戸松菊二行之書」

安徳天皇西市陵墓参考地から南西の方角に位置する楢原という地に諏訪山正念寺はある。その起源を辿ると、寛永2年(1625)まで遡ることができる。当時、朝倉兵庫頭の家臣、甲斐修理という人物が出家し、法名を正清と称し、浄土真宗本願寺派の一宇を建立したのが…

補遺:安徳天皇西市御陵墓と木戸孝允

安徳天皇西市御陵墓の所在地、山口県下関市豊田町地吉一帯は、現在は豊田湖とそれを取り囲む山々で構成されているが、木屋川ダムが造成される昭和30年以前は広大な平野が広がっていた。この平野を「地吉」という。 地吉の地を開いたのは、平安時代の応徳年代…

安徳天皇西市御陵墓と木戸孝允

山口県下関市豊田町地吉の豊田湖の湖畔に、寿永4年(1185)の壇ノ浦の戦いに敗れた平氏一族と共に入水し、僅か8歳でその生涯を閉じた第81代安徳天皇の御陵墓とされる「安徳天皇西市陵墓参考地」がある。「参考地」とされているのは、西日本の各地に安徳天皇の…

平成30年12月16日 大磯探訪・補足(歴史を受け継ぐということ)

※史料・碑文等から見えてくる「歴史の伝承」。 明治天皇の大磯御滞在、特に北浜海岸臨御中の出来事についてもう少し掘り下げてみたいと思います。 ・まず、基礎史料である『明治天皇紀』にはどのように書かれているでしょうか。 「九日 卯の半刻小田原行在所…