大道行くべし。

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木戸孝允と箱根③

木戸は箱根滞在中、折に触れ多くの詩作をしています。中でも次の漢詩は印象的です。

對江山
千里江山落眼中 眼中江山則千里 山自幽靜水自淸
日日相對我心喜 天地妙美人不知 人不知處却妙美
大道可行又何妨 聖賢所解無空山 君子如愚小人智
一時名利不足恃 専是天眞誰得禁 可憐世情如片紙
分明眼中判是非 欲托生涯江山是

(『木戸孝允文書』八より引用)

 

『松菊木戸公伝』によると、この詩を詠んだのは明治2年8月24日であり、木戸が供の者達と芦之湯の山頂に登り、遠く鎌倉、江の島の景色を眺めたことを受けてのこと(『木戸孝允日記』に従えば26日)とされます。中でも、「大道可行又何妨(大道行くべし又何ぞ妨げん)」の一節は強く印象に残ります。「人の踏み行うべき道を歩め、さすれば妨げるものなどあろうものか」という意味です。

私は漢詩の素養がなく、具体的な意味はあまりよく分かりませんが、全体的な雰囲気は何となく伝わってきます。タイトルにある「江山」とは、山河とか国土、国家という意味。政治闘争に明け暮れ、思い通りに行かない現実が心身を次第に疲弊させていき、箱根に隠遁した木戸が、その大自然が作り出す「妙美」を眼前にした時、自身の志と重ね合わせ、「人間も自然の一部であって、私も自然の摂理に随って生きたい」と、願望にも似た気持ちで詠んだのかもしれません。

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山自幽靜水自淸


もしかして箱根には、何か木戸の人生観のようなものが凝縮しているのではないか。少なくとも木戸は箱根に対してそのような思いを抱いたのではないか。この漢詩の存在を知ったことをきっかけに何となくそう考えるようになり、木戸の箱根隠遁中の動向に興味が湧き、箱根での足跡を出来る限り辿ってみようと、実際に箱根に行ってみることを思い立ちました。

(※あくまで個人の感想です)

 

しかし、木戸が何故あのタイミングで、何故箱根に赴き、誰を伴い、箱根では誰と何をしたのかということまで突き詰めるには至っておらず、ただ何月何日どこに行ったということを表面的になぞるに留まり、まだまだ探求は端緒に就いたばかり。これからも折に触れて調べ、「木戸孝允と箱根」について更に立体的に肉付けし、解明していきたいと考えています。その為にはまた箱根を再訪する時が来るでしょう。

それにしても、日帰りではやはり足跡全てを充分に回ることができなかった。後半は次第にあたりが暗くなってきて帰りの足のことが気になり駆け足になってしまった。じっくり回るにはやはり宿泊する方が無難と痛感しました。ただ、箱根は知れば知るほど魅力が増す町ですね。お陰様で箱根には結構詳しくなった気がします^^♪